弱肉強食の猿山を見て人間社会を感じた。いじめは本能??


どうも。ぴかおです。

先日、函館市熱帯植物園で
温泉に入る猿を見てきました。



温泉に入る猿はとてもかわいらしく
また、餌やりができてキャッチしてくれる猿もいます。
非常に癒される光景ですが、
一つの社会なだけあって、上下関係は存在します。

 
きれいな世界もあれば、
反面、闇の世界もある。
そこでは、両方見ることができます。
 
上記の写真は、表の世界。
奥の方や、左下に少し見える段差の下では、
裏の世界が見れます。

 
そこには、毛が抜けたサルや痩せているサル、
縮こまって震えているサル、餌をとられるサルが
何頭かいます。

彼らは、餌をとるときも一歩ひいたり、
本当に近くに投げられたエサしか食べません。
 
いじめという言葉はサル界にはふさわしくないかもしれませんが
弱いサル、能力が劣っているサルは、いじめられているようです。

ここでのサル社会は、人間によって管理されているので
みんな生きていけますが、
自然界ではそうはいかないと思います。

自然界の動物は日々進化しており、
能力が足りない動物は絶滅していき淘汰されます。






人間界のいじめもそれに値するのではないかと考えました。

人間ももともとは自然にいた動物ですし、
古い言い伝えや、昔の伝統が残っている部落では、
今でいうダウン症の子や五体不満足で生まれた子は
生きたまま埋められると聞いたことがあります。

要するに、言い方は非常に悪いですが、
自然的には淘汰されるべきなのです。

だからと言っていじめ肯定派というわけではありません。

サルたちは、強さを持って
食事ができたり、生殖できます。
彼らに必要なのは、一つに絞ると
強いという能力だと思います。


しかし、人間は違います。
いろいろな能力を持っています。
強いという能力だけでは語れないのです。

いじめは、劣っている部分を蔑み
自分の能力の優位を誇張したいという
言うなら、サルのような本能ではないでしょうか。

人間の能力の多様性を理解したうえで、
まだ、能力が開花していない人をいじめるのは
いけないことです。人間であるならば。




いじめられっ子に力で勝てなくても
他のことで勝てることがあるでしょう。
人間界にはその能力が必要です。

根拠がなくてもいい。
自信を持って生きていれば
必ずいいことがあります。


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